「アレも聞きたい,コレも聞きたい!」では,呉市で暮らす外国人インタビューをお届けします。今回のゲストは民里美姫コリンさん,フィリピン出身の女性です。大学生だった昨年度まで当協会事業「外国にルーツをもつ児童・生徒のための夏休み・冬休み宿題応援プロジェクト」にボランティアとして参加してくれていました。実は彼女もかつては外国にルーツをもつ児童・生徒でした。今年度から教育者として社会人生活の第一歩を踏み出した民里さんに,子どものころから現在に至るまでのお話しをアレコレ聞かせていただきました。
【インタビュー回答日:9月9日】
♪♪ 今回のゲスト ♪♪
民里 美姫 コリン さん(23)
出身:フィリピン共和国・マニラ
在日年数:13年
職業:県内県立高等学校 英語教員
好きな食べ物:お母さんが作るチキンカツ
Q1:来日当初のことを教えてください。
小学5年生の年齢で来日しました。2011年2月末に来日しましたが,翌年の3月末まで1年間学校に行きませんでした。2012年4月から学校に通うことになったのですが,本来であれば6年生に編入するところを,校長先生から中学校に入るための基礎固めをする上では,5年生から始めた方がいいのではないかという助言もあり,5年生に編入しました。
私の通った小学校には,外国人以外にも日本語支援が必要な児童が他校からも通う「日本語教室」があり,私と当時小学3年生だった妹は,同じクラスの児童が国語の授業を受ける間はその日本語教室で日本語の勉強をしました。日本語の先生は私たちに一生懸命日本語を教えてくれましたが,自分の中で言語化されていないことをアウトプットする学習方法は正直辛かったです。通常の授業は楽しかったし,クラスのみんなもやさしかったので,日本語教室で取り出しで勉強するよりも,他の児童がやっている学習を少しわかりやすく説明してくれた方が理解は深まったかなと思います。
Q2:日本語教室は小学校卒業まで通いましたか?
6年生に上がるタイミングで終了しました。当時の心境としては,他の児童と一緒に勉強したいし,特別扱いも嫌だったので,嬉しい反面みんなと同じ授業でついていけるかなという不安もありましたが,私の場合は担任の先生に恵まれていたことが救いでした。先生がすべての教科書にルビを振ってくれるなど寄り添ってくれたことで,学びたいという意欲がさらに高まりました。担任の先生のおかげもあり,6年生の夏休み前には基礎が自分に定着したなと実感することができました。
Q3:その調子で中学校でも順調に勉強が進みましたか?
実は中学校に入り,一気に勉強についていけなくなりました。小学校までは年齢相応の母語が身についていたので,日本語を母語に変換することでカバーできていたことが,中学校では語彙がぐんと難しくなり,母語によるカバーができなくなりました。また,中学校は担任制ではなく,教科ごとに先生が変わることもあり,担任との関わりが少ないことから,わからないことに対して誰に助けを求めたらいいのかわからなくなりました。さらに部活動の上下関係にもついていけず,学校生活に慣れるまでに時間がかかりました。
Q4:そんな苦しみながら卒業した中学校を終え,高校生活ではどんなことが待っていましたか?
中学校でついていけなくなった勉強でしたが,唯一英語だけは納得のいく成績を取っていたので,英語,面接,小論文のみで受験が可能な県立高校の国際科に進学しました。
国際科はそれぞれのやりたいことが尊重され,色んな「違い」がある学科でした。私と同じようなバックグラウンドをもつ生徒もいて,同じレベルで競える相手が多かったことから,これまではスタートラインにすら立てていなかった私が,ようやくみんなと同じ位置に立てたことで,中学時代に失われた学習意欲が再燃し,勉強が楽しくなりました。
Q5:大学生活のことを教えてください。
私はフィリピンにいたころ学校に通っていなかったこともあり,「学ぶ」ことに対する憧れが人一倍ありました。なので,受けられるものなら絶対高等教育まで受けたいという気持ちが非常に強かったことから,外国人でも受けられる奨学金などについて調べ,そのお金で学費,生活費を賄い,自宅から通える公立の大学となると選択肢が狭まりましたが,自分のバックグラウンドを強みにできる入試(異文化体験枠)を経て,県内の公立大学に入学することができました。
Q6:今のお仕事を目指したきっかけは何ですが?今のご自身に至るまでに大きな影響を与えた人はいますか?
前述のとおりフィリピンで学校に行けていなかったので,学校に対する憧れが強かったことがあります。そして,大学の選考では教職課程があることを条件にしていて,教えることを仕事にしたいと思っていました。また,小学校や高校では先生に恵まれたことから,そんなお世話になった先生と同じようなことがしたいと思ったこともきっかけのひとつだと思います。ただ,実際教職課程の授業を受けると憧れだけでなれる職業ではないと実感しました。それでも実習や教材研究などを通して徐々に自信がつき,この仕事をしたいという思いが強くなりました。
実際勤務してみると,生徒の成長はもちろんのこと,自分自身の追求にもつながり,教員・生徒が互いに成長できる素晴らしい仕事だなと思っています。
Q7: 多様性が叫ばれている昨今ですが,まだまだ日本人は『違い』に対して敏感で,それにより疎外感を感じている外国にルーツを持つ子どもたちも多いのではないかと思います。そんな社会や風潮を変えるために学校現場や地域社会にどんなことを求めますか?
『違い』に対して敏感になるのは仕方ないと思います。ただ、その違いに対して理解しようとしたり,受け入れようとする姿勢は大切だと思います。そのためには時間をかけてでもコミュニケーションを取ったり、お互いのことを知る機会を学校現場や地域社会の中でつくっていくことが大切だと思います。
民里さんは夏休み・冬休み宿題応援プロジェクトのボランティア活動中,フィリピンにルーツをもつ子どもたちから「母語で話せるお姉さん」として引っ張りだこで,彼らの日本での生活に関する不安な気持ちをやさしく受け止めてくださっていました。
将来ご自身が外国籍の生徒を受け持つことになった時は「その生徒が相談できる人を一人でもいいので作ってあげたい。」とおっしゃっていました。だれか一人でも頼れる人がいることの大切さをご自身が実感されているからこそのコメントであると強く感じました。また,外国にルーツをもつなどさまざまなバックグラウンドをもつ人たちが教育現場に入ることで,多様な視点から繰り出されるユニークな教育が実現するのではないかな,と民里さんのお話を聞いて思いました。
社会人1年目,そして職場が教育現場ということで,多忙に多忙を極める毎日であるにもかかわらず,快くインタビューに応じてくださった民里さん。まだまだ残暑厳しい9月初旬にわざわざ国際交流センターまで来ていただいて,たくさん貴重なお話を聞かせてくださいました。本当にありがとうございました。
「将来はフィリピンで教育の仕事に携われたら」と未来への希望も語ってくださいました。お忙しいこととは思いますが,どうか体に気をつけて,日本の,そしてフィリピンの教育のために頑張ってください。