「アレも聞きたい,コレも聞きたい!」では,呉市で暮らす外国人インタビューをお届けするこの企画 春,出会いと別れの季節を迎え,今年も,呉高専(呉工業高等専門学校)にお邪魔し,3月に卒業を控えた留学生に会いに行ってきました。
♪♪ 今回のゲスト ♪♪
名前:フィマンソン・ワィライオンさん(22)【愛称:ドーくん】
出身:ラオス・ビエンチャン
母語:ラーオ語
好きな日本の有名人:三笘薫 (イングランドプレミアリーグ ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC所属)
好きな日本の食べ物:ラーメン(特にとんこつラーメン)
Q1: 3年間の呉高専での生活が間もなく終わろうとしていますが,今の気持ちを聞かせてください。
悲しい気持ちと,嬉しい気持ちがあります。悲しい気持ちの理由は,僕の3年間の呉高専生活の中で,そんなにたくさんではありませんが,とてもいい友達ができました。友達と別れるのは悲しいです。
嬉しい気持ちとしては,来日当初(2020年)は,わからない日本語も多かったですが,3年間で日本語や日本の文化に関することを多く学び,さまざまなことを吸収できたことです。
また,僕は3年間寮生活をしました。寮では大変なこともありましたが,いいことの方が多かったです。
Q2:初めて呉(日本)に来た時の印象を教えてください。
自分が生まれ育った場所と比べて,似ているところ,逆に驚いたことはありましたか?
日本の街はどこも発展していて,僕の生まれ育ったところとの類似点はあまりないと思います。
逆に日本に来てビックリしたことは,恐らく多くの外国人が同じことを思っていると思いますが,日本はどこに行っても街がきれいです。そしてトイレもきれいです。ラオスでは,どんなに都会でも,道にごみがあります。
Q3:日本で暮らし始めたころ,何か困ったことはありましたか?
来日して半年間は,東京の日本語学校で日本語を学びました。その時はラオスの先輩がたくさんいたので,特に困ることはありませんでした。
呉に来た当初は僕以外にラオスの人はいませんでしたが,留学生の先輩がやさしくしてくれたり,同期にタイからの留学生がいて,僕はタイ語も話すのであまり淋しいとは思いませんでした。
ただ,僕は3年生から呉高専に入学したのですが,3年生は最も科目の多い学年であり,それぞれ科目ごとに専門の言葉が異なることから,日本語を覚えるのが大変でした。
Q4:3年間の留学生生活を経て,最も想い出に残っていることはなんですが?
いくつかあります。
まず,高専祭で友達と色々準備をしたり,物を売ったこと
そして,留学生の後輩と恐羅漢にスキー旅行に行ったこと
もうひとつは研修旅行で,他の留学生たちとUSJやハウステンボスに行ったことです。
Q5:卒業後の進路を教えてください。
卒業式(3月18日)が終わったら帰国します。9月からは,ラオスの大学(3年生)に編入し,土木関係の学科で,建築についてより深く学びたいと思っています。その後大学院に進み,さらに自分の興味のある分野について研究を重ねたいと思っています。
Q6:呉高専や大学,大学院で学んだことを将来どのように活かしていきたいですか?
大学院で研究した内容に関連する就職先を見つけたいと思います。場所は特にラオスにこだわらず,自分が希望するところであれば,日本でも他の国でもいいと思います。
就職を経て,自分のスキルに自信がついたら,いつか起業したいです。
何歳までに起業したいですか?
(できるかどうかわかりませんが…と前置きをして)30歳までには起業できたらいいなと思います。
Q7:10年後の自分にメッセージをお願いします。
メッセージと言うか,こんな自分になりたいと思うことは,
「30歳になるまでに起業」
「投資家になる」
「好きなことを仕事に」
「経済的に安定した幸せな生活」
「仕事ばかりに時間を費やすのではなく,自由な時間も持つ」 です。
インタビューに答える言葉の発し方,発音など,日本人のそれと全く相違なく話すドーくんでしたが,来日当初の日本語は初級レベルだったそうです。そこから1年もたたないうちに呉高専で授業を受けられるレベルに達したとのことで,ご本人の努力はもちろんのこと,言語のセンスに長けている人なのだと思いました。
今号が発行されるころには,ドーくんはすでにラオスに帰国していますが, 将来日本で仕事をする機会があれば,必ず呉を訪れてくださいね。待っています。