アレも聞きたい,コレも聞きたい! ~江木 マーリンさん(フィリピン出身)真亜駆さん(日本出身)編~

「アレも聞きたい,コレも聞きたい!」では,呉市で暮らす外国人インタビューをお届けします。今回は初の親子インタビューです。フィリピンから日本に移り住んだ母と日本で生まれ育った息子。異文化を背景に持つ親子が語ってくれたお話とは?親子間のアレコレを聞かせていただきました。【インタビュー回答日:8月14日】

♪♪ 今回のゲスト ♪♪
【母】江木 マーリン さん(51)会社員
【息子】江木 真亜駆(まあく) さん(24)会社員
出身国:【母】フィリピン 【息子】日本
母語:【母】ビサヤ語 【息子】日本語
好きな日本の有名人:【母】工藤静香,坂本冬美 【息子】岩崎宏美

おふたりは倉橋在住,地元の水産加工会社の社員で,マーリンさんは主にフィリピン人従業員の通訳として,真亜駆さんは現場の主任として作業指導や管理のお仕事をされています。

Q:多くの外国人が倉橋で暮らしていますが,マーリンさんが来日した頃の様子はどうでしたか?

マーリンさん(以降マ)私が初めて日本に来たのは1995年で,数年間は九州で生活していました。夫は船に乗る仕事をしていたので家を空けることが多かったですが,その間に日本語を勉強し,日本語能力試験の4級を取得しました。その後長男(真亜駆さん)を妊娠し,身重の私を義母が心配したことから夫の実家がある倉橋に移ることになりました。当時倉橋に外国人は私ひとりでしたが,義母が知人や友人に声をかけてくれたおかげで,周りのおじいちゃんやおばあちゃんは私にとてもやさしくしてくれました。私も周りの人たちに積極的に挨拶をするなど交流を深め,地域の人たちとの関係を築いていきました。

Q:日本で真亜駆さんを出産,子育てもされていますが,苦労や不安に思ったことは何ですか?

出産の3か月後に義母が亡くなりました。夫は船に乗って不在がちだったので,私と長男ふたりきりとなり,孤立した状態となりました。家でふたりきりでいると,何かあっても誰も気づいてくれないのでは,と不安になったのを覚えています。そんな時,周りの人から牛乳配達の仕事をすすめられ,仕事をしながら地域との接点を持てるようになりました。

真亜駆さんは日本生まれ,お母さまのマーリンさんが「日本で生きていくのなら」と,家庭でも日本語のみで育ち,お母さまの母語を話すことはできません。「育っていく過程でお母さんの母語も学びたかったですか?」という質問に,「いえ,日本語オンリーで育ててもらってよかった。」という真亜駆さんの答えにマーリンさんはとてもホッとした様子でした。

Q:真亜駆さんにとっての母語・母文化は「日本」ですが,お母さんの母語,母文化である「ビサヤ語,フィリピン」に対してどんな風に興味や親しみを抱いていますか?

真亜駆さん(以降真)直近で言うと,僕はヨーロッパの歴史,特にハプスブルグ家に興味があり,Youtubeで関連動画を観るのですが,「フィリピン」の国名の由来が,スペインのハプスブルグ家のフェリペ2世の名前からと知り,この人物に俄然興味が湧きました。また,ヨーロッパのカトリック教会の建築様式が好きなのですが,フェリペ2世のことを知って,今はフィリピン国内にあるスペイン統治時代の遺跡を調べることが好きです。

Q:真亜駆さんは,会社で多くのフィリピン人(全従業員の3分の2)従業員と一緒に仕事をされています。マーリンさんの来日当初と比べ地域で暮らす外国人の数は随分増えました。彼らが職場や学校など,社会で生きやすい日本にするため,地域の人はどうしたらいいと思いますか?

互いにコミュニケーションの機会を増やすことだと思います。外国人の日本語レベルは人により異なります。相手の日本語力に完璧を求めず,時にはこちらが片言でも相手の言語を使い,寄り添うことが大切だと思います。
相手が自分の言語をほんの少しでも話してくれると,私たち外国人はとても嬉しいです。自分たちのことを気にかけてくれていると感じます。

Q:倉橋にはフィリピンの人が多く暮らしていますが,地域の人との共生での課題は何ですか?

今はコロナで難しいですが,地域のお祭りに外国人も参加し,コミュニケーションを促す機会をつくることが必要だと思います。お祭りを通してフィリピンの人は日本文化を知り,日本人は料理教室などのイベントを通してフィリピン文化を知り,そうすればコミュニケーションも自然と増えてくると思います。フィリピンの人は,日本人から声をかけてもらえたらうれしいです。
一方で,フィリピン人同士のコミュニティの中で,ある程度の問題は解決できる状態にもなりつつあります。だからと言ってコミュニティだけに頼るのではなく,地域の人との関わりを大切にしていくことも必要だと思います。

Q:将来の夢を教えてください。

二人の息子がいい奥さんを見つけて,家族でフィリピンを訪れてほしいです。そして,フィリピンの私の故郷に似ている倉橋にずっと住み続けたいです。
家族や友人,知り合いに囲まれて平和に暮らしていきたいです。そのためにも「大事だな」と思える人を増やしていきたいと思います。


会社のフィリピン人従業員のみなさんは,困ったことがあるとマーリンさんに相談していますが,現場に真亜駆さんがいてくれることは現場の状況を把握するうえでとても助けになるそうです。ご本人は自身が外国ルーツであることをあまり意識していない様子でしたが,職場のフィリピンの人
たちにとっても真亜駆さんは心強い存在なのだと思います。日本とフィリピンの架け橋となって今後ますます活躍されることを願っています。ありがとうございました!

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